今の米軍撤退のアフガンから避難するアフガン国民を想起させるようなドラマの展開だった。アフリカ某国で子供たちのために古い友人つくった学校で共に働く逃亡中の主人公が、ク-デタ-が起きたさ中、クーデタ-軍が子供たちをさらって殺人兵器に仕立てる軍から子供たちを国外に救い出すという話。
アフガンと言えば、アフガン農民のために水路をつくって命を捧げた中村医師のことはまだ忘れられない。積み立てても積み立てても、もろくも崩れてしまうアフガンでの平和事業。こんな砂上の平和への努力に命を捧げるほどに努力する意味があるのかと私に問われたら正直答えられない。懸命に努力しても命まで取られてしまう現実。なんか無意味な努力に思える。荒廃した砂漠に花を咲かせる努力。
アフガンの国民の中で、タリバンを容認する国民が大半ならば、米軍が駐留して米国式民主主義を構築しようとしても、現実のようにもろくも崩れていく。多くの命と血を流してでも、もがいてアフガン国民の選択に任せるしかないのだろうか。神さんや仏さんから見れば、多くの命が失われる無意味な戦争も昆虫が毎日餌を求めて奪い合うほどの命を賭けた生存本能の遊びくらいにしか見えないのかもしれない。国とは何か、アフガンの国民が選ぶ国とは何か、アジアの片隅に住み、全くと言ってもいいほど交流もアフガンへの歴史や知識を持たない私としては、冷ややかに対岸の火事として傍観するのみ。。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN014VT0R00C21A7000000/