アンコ-ルワットへは、タイのバンコクから陸路で1泊2日の時間を費やして到着した。時間をかけて苦労してたどりついたものである。バンコクのバスセンタ-から国境までのバスに乗り、国境超えてからは相乗りバスのような感じのピックアップトラックのシェムリアップ行きに地元民と同乗しなんとかたどりついた。ピックアップに乗せてもらう時、英語も通じず困った。ジェスシャ-だけが頼りだった。
バンコクのカオサンから、陸路のツア-で行けば比較的に簡単にたどり着いたのだろうが、そこは刺激と好奇心を求めて、ゆきあたりばったりの旅を楽しむことにした。次に何が起きるか分からないところが面白いのである。更に簡単といえば空路で一気にシェムリアップという方法もあるが、あまりにも容易しすぎるし、陸路をはって行くのが旅の大部分の醍醐味であるから、考えられない方法である。タイの国境を超え、シェムリアップまでの相乗りのピックアップトラックは道路が未舗装で、凄い乗り心地であった。席の前後空間も狭く、エコノミ-症候群になりそうだった。この道路の酷さとかを題材にしたテレビ放映もあったほどである。さるなんとか言うタレント名の人達が、この道路を舗装するとかいうのだった記憶。でもなんとか事故にも会わず到着出来たのは、このころにはかなり旅慣れていて、多少のハプニングには動じない伸びきった精神の賜物だった。アジアの田舎に行くと、英語が通じない。現地語が使えればいいのだが、横着をきめて事前にそんな学習はしない。挨拶語くらいは覚えるが。欧米人のバックパッカ-を観察すると横柄というか、挨拶用語すら覚えないようだ。観光街は大抵英語が通じるから学習する気はさらさら無いようだ。シェムリアップからバンコクへの帰路は、シェムリアップで滞在していたゲストハウスでツア-を申し込んだ。ツア-の帰路はあっけないほど簡単に戻れた。乗客は20人くらい、豪華な大型バスであった。トイレ付き。乗客は欧米のバックパッカ-が殆ど。中に二人連れの20代の日本人女性もいた。近くに座った30代に見えた欧米人、かなり容貌が変。俺、ヤクをやっているんだ、とかつぶやくように言ってた。おぃおぃ、そんなこと俺に教えるなって。それと2人連れ女性の日本人、バスの道中が長いので眠り込んでいたが、かわいく眠ってはいるがスカートで大きく股を広げて眠り込んでいたので下着が丸見え、周りの乗客の視線を一身に浴びていた。それにしても大胆というか、疲れていたのか、大和なでしこにあらずの眠り姿で、私もその惨状に冷や汗かきながら目をつむって知らない振りをして眠っているふりをしていたが。ちょつとお水系の女性のようでなんとも。ツア-バスはカオサンで全く無問題にて終着。約1週間くらいのカンボジアの旅であったが、さすがに疲れた。タイの周辺国に行くと、タイとの経済格差を感じる。道路の悪さ、タクシ-もポンコツ。そしてタイのホテルは周辺国に比べると安い。流動性がいいというか、回転率がよく競争が激しいからなのだろう。そして私は仮宿と荷物置きにしていたバンコクのアパ-トに戻ったのだ。
![]() | アンコ-ルワットの入り口 |
![]() | カンボジアの健康美人の笑顔に迎えられて |
![]() | 入口でバイタクが客待ち |
![]() | この日は、アンコ-ルワット の夜明けを観光するために、朝 4時頃に起床して出かて撮ったものである。観光も楽では無い。 |