熱帯アジア旅行の記録

雑談

プーケット(タイ)  観光地タイでも有数のリゾ-ト プーケット、すぐ近くに昔映画でもとりあげられたピピ島がある ここでのんびり けだるい熱帯のビーチを堪能するのはいいもんだ

プ-ケットでの大きなホテルは旧市街から離れたところに在り、ちょつと歩いて市街で買い物というには距離がある。旧市街にあるホテルはオ-ナ-がタイ人系なのか中小規模のホテルが林立する。ビーチ沿いにあり、ホテルの部屋から直接ビーチに行けるから便利。ホテル内にも小さなプールもある。ただ団体客用には部屋数も余り無いので適していないので、少人数の観光客が多い。私のような一人旅を楽しむ者には静かでいい。プーケットには記憶があるだけで3度ほど行ったようだ。プーケットで2~3日過ごし、港から出ている船でピピ島に渡って、そこで又数日過ごす。なんていうことを1週間もやっていると、さすがに飽きてきて雑踏の大都会が恋しくなる。 もう随分昔になって、忘れ去られてしまったかもしれないが、プーケットやピピ島はインド洋からの大津波で惨状をきたしたことがある。当時死者の数が多すぎて、プーケットの海岸に大きな穴を掘って、ブルド-ザ-で死体を埋めている写真を見たことがある。ピピ島は海抜が高い所でも数メートルしか無いので、逃げ場を...
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ピマーイ歴史公園                                                                              バンコクのバスセンタ-からバスに乗り、おいらは目的地も決めずにやみくもに東北方面に走る、そしてたどり着いた遺跡、ここはタイの何処の遺跡なのか?この写真観るたびに、昔訪れた遺跡がどこにあったか悩むのであったが(2002年9月26日~)

今夜、グーグルで写真検索したら、ピマーイ歴史公園の写真と合致。やっと長い長い疑問が一つ解けてすっとした。疑問を抱えたままだと、なんとなく脳の中でプレッシャ-のような、もやもやしたものを抱えこんでいる状態のような気がしてすっきりしない。これで明日から0.001%くらいすっきり快眠出来るのでは。墓まで疑問のまま抱え込まなくて良かった。 後日写真を少し整理し注釈も入れたいと思いますが、今夜は貼っただけにしておきます。(おぃおぃやる気がないのか?OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS D...
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ミャンマ- インレ-湖 2002-1206~1222

インレ-湖は、ミャンマ-の中腹の高原にある湖。かなり涼しい。湖沿いには観光でも有名な猫を沢山飼っているお寺がある。観光客にCATが輪をくぐりぬけて飛ぶ芸を運がいいと観れる。湖の中にレストランもある。湖で漁をなす漁師とか湖沿いに観光客用の市場とか、インレ-湖はそこに住むミャンマ-人の生活の糧のようだ。 ミャンマ-はヤンゴンとか一部の大都会?を除くと、私たち日本人の感覚ではすこぶる田舎じみていて、なぜか昭和のノスタルジャを強く感じる。ミャンマ-は一歩入ると、田舎の村では電気も水道もない。建物もすこぶる素朴で藁とか竹細工とかでできている住居も少なくない。熱帯アジアであるから、寒さということがないから、こんな素朴な住居でも充分快適に生活できるのだろう。素朴で文明とは少し離れた生活スタイルは、長期間では耐えられないが短期間だと、隣の芝生は青い、というわけではないが、なんかなかなかいいように思われる。とはいえ、電気、ガス、水道の無い生活に、長期ではとても耐えられないが。 ということで、文明とはやや距...
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メ-ホ-ソン 首長族の村を訪れるの巻 チェンマイで知り合った邦人の人と、4駆のジェミニ-に相乗りで、物好きにも山中のカレン族、首長族の村を訪れてしまった               

2,000 04  首長族の村については、いろいろ言われているが? メ-ホ-ソンの首長族はタイの観光用の絵ハガキなどの写真で有名である。北タイ、メ-サイ、メ-ホ-ソン、チェンライを旅している時、たまたま同じく観光で旅してる同い年くらいの日本人と会った。彼は後に知ったが工場関係の電気設備屋とかで、タイ人の彼女を連れての旅であった。タイ人が観光案内や通訳してくれ、4駆の車も割り勘となり、私も便乗して彼らに付いていった次第である。現地人の説明だと、首長のワッバをハメるのは、幼少のころくじで決めるとか。他に雇用の無い部落でもあり、観光資源として政府からも補助があるようで、個人的には人道的にどうかと思うが、経済的な面から今日まで続いているらしい。部落の土産物屋では、ワッバをつけた子供やね-さんが販売員を兼ねている。働き盛りの男どもは、日陰でたむろして、コ-ラ-の蓋と思われる物を盤に並べ、酒を飲みながら博打三昧のようである。他に雇用が無いからやることがない。あるとすればちょつとやばい植物の栽培、収穫...
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タイ コ-ンケ-ン チェンマイで知り合った邦人の旅友に連れられて行ってしまったコーンケ-ン もぅ昔のことで、余り記憶が無いのだが、大きな湖と、寺の記憶しかない((´;ω;`)ウッ…)    2,001 1月

たまたま、チェンマイ辺りをブラブラしてる時、知り合った邦人の旅人に、後日バンコクに戻った時に連絡があり、彼の彼女の故郷がコーンケ-ンということで、無理矢理連れられて行ってしまった所がコーンケ-ンでした。 ホテルの近くでレンタルバイクを借り、ホテル周辺を走り回る。今、地図で見るとかなりデッカイ湖だ。ガイドも他に知り合いも無いので、でたらめにあちこちをバイクで走るボートは沢山あったが客がいないバイクで走り回っていると大きなお寺をみつけた今、ググってみるとプラマハタ-ト(コーンケ-ンナコン)というのだそう熱帯アジアのお寺はけばいが、このお寺も同じなかなか手入れはよく奇麗なお寺だったつつじのような?これが正面かな?不思議なことに像が更に恐竜も 何故恐竜の像が?と思ったのだが。今調べてみると、コーンケ-ンにあるプーウィエン国立公園という所で考古学的発掘から恐竜の化石が沢山出てきたようで、このお寺もそれの影響かな。 宿泊したホテルから夜遅く、寝ているとうるさいホテル前にクラブがあって、そこで深夜まで...
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タイ最北の町メ-サーイ⇔ミャンマータチレク(半日の旅) 旅の追憶               

メ-サ-イの街並み   イミグレ国境の川国境の川の橋メ-サ-イの街並みイミグレ審査ここからミャンマ-こんな感じで現地人はイミグレを通り抜けて行きます?ここはミャンマ-?メ-サ-イ、後で知ったのだが、ちょつと危ない人も来る街らしい。ホテル周辺を散策していたら、あるある。どうもミャンマ-人の女の子が殆どらしい。ちょつと表側からは見えない、メ-サ-イ裏の顔。町はタイの僻地?なのか割合静かであった。もちろん日本食を食べさせてくれるようなレストランはみかけなかった。観光地ではないので、景色もいまいち。
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バガン(ミャンマ-) ヤンゴンのバスセンタ-から夕方出発、翌朝バガンに到着 近くのホテルをゲットして数日散策

バガンはミャンマ-でも指折りの観光地。何があるかというと、村のあちこちに金ぴかのパコダ、つまりお寺の館があるのです。築年はどれも古いので荒廃の激しいものも多く、現在では修復中のパコダも多いとか。 ミャンマ-のあちこちから、若い青年が仏道修行、信仰心の高揚のために訪れます。出家した人もしてない人も。私はヤンゴンのバスセンタ-から、夕暮れ少し前出発のバスに揺られ、翌朝午前6時前後到着のバス車泊の旅でした。ミャンマ-は鉄道も走っているのですが、バスもポロイですが、汽車も凄いとか。レ-ルの継ぎ目で列車が30センチくらい上下するとか冗談で言われるほど凄いらしい。さすがにミャンマ-の汽車に乗るのは、この冗談を半分真に受けてしまって断念、今となると、経験のために一度汽車の旅もしておくべきだったと後悔してます。ミャンマ-人も、国内旅行は私のような底辺の人は、列車を使わずバスで旅行するようです。 バガンの村はそれなりに広いので、村のあちこちのパコダ巡りをするのにはやはり何か乗り物が必要です。当時では、タク...
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フエ(ベトナム) ハノイからバスに乗って夜中中走って明け方フエに着いた フエはベトナムの世界遺産 かってはベトナム戦争の熾烈な戦場でもあった

ハノイからバスに乗ってフエにたどり着いた。フエではツア-を申し込んで周辺を散策。この辺りはベトナム戦争でかなりやられた。当時の惨状は知る由もないが。ベトナム戦争を題材にとった戦争映画は多い。米国が全力を尽くしても勝てなかったベトナム。ベトナム旅行をしていて、どこにそんな粘り腰の力があるのかは分からなかった。ただその戦争の後遺症は今も残る。火薬の後遺症は時間とともに消えていくが、枯葉剤とかの後遺症は今も続いている。枯葉剤から除草剤と変転して私たちも利用する除草剤。除草剤の効能書きを読むと、葉から吸収されて根も絶えたせるとか。地面に浸透した薬液は無害?。私もたまに除草剤は使用するが、その効力は絶大、蚊も蠅も殺傷してまう。そんな殺傷能力をもつ薬液が地面に吸収されたら無害になるというのはちょつと信じられない。 そんなベトナム戦争の戦禍は20年以上経っても垣間見れた。このフエあたりは、当時焼け野原に近い状態になったたとか。遺跡の各所にその残跡が見られた。当時南北に分かれていたベトナムは、その名残か...
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チェンマイ(タイ) チェンマイぶらぶら周遊記 バックパッカ-がラオスやカンボジアに行く起点地

チェンマイはタイのかなり北側にあり、人口は20万ちょつとで大して大きな都市ではないが、外人観光客がかなり訪れる。何がいいのかは私にもよく分らない。褒め言葉ではタイの小京都とかいう人もいる。バンコクのように人ごみや空気の悪さに疲れた旅人が少し休憩でもしようかと訪れるのかもしれない。タイの北側に位置するので冬の夜は半袖では寒い程である。5月前後のタイの暑さは半端では無い。40度前後の灼熱、そしてタイの都会は空気が悪い。半日外出して戻ると鼻の穴は真っ黒。そんなバンコクを少し離れたくなる旅人にはもってこいのチェンマイ。チェンマイのあるアパ-トには日本人が数百人くらい暮らしているとか。アパ-トの大多数が日本人。50代60代の夫婦とか、年金老人とか。年寄りにはやや涼しいチェンマイはなかなか快適な場所なのかも。特に底辺の年金族は、食べ物や生活環境に多くを望まなければ(平均的な現地人と同じレベル)少ない年金でもなんとかやっていける。月5万円もあればなんとか。ただし現地人の平均レベルの生活で。車や豪華なマ...
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ホ-チミン(ベトナム)  ホ-チミン周辺を散策 ちょつとツア-で近くの観光地も訪れる  の巻

ベトナム。特にホーチミンは私が行った十数年前は、まだベトナム戦争の後遺症を多く残していた。又フランスに支配されていた時代が長かったので、その文化が色濃く残っているようである。教会や郵便局はその遺跡である。又市の一部に広い中華街があって中華系の色彩もみられる。若い女性の日本人がベトナム大好きとか聞いたことがある。ホーチミンの観光街のレストランで、そんな日本人女性の群れをよく見た。食事も日本人好みのメニュ-が沢山あるし、土産物もカラフルで若い女性好みである。朝の出勤時間は道にバイクの行列が続き壮観だ、そして100メートル間隔くらいにポリさんが立っていた。こんなに警官が多いのかとあきれるほど立っていた。雇用の機会が少なく、公務員を沢山取らなければならない事情は分かるが、少し多すぎるような?そんな警官も昼間になると姿を消す。 ホ-チミン人とハノイ人は南北遠い距離があるだけあって気質がかなり異なる。ホ-チミンは商業の都市だけあって、人なっこい。外人にも気軽に語りかけてくる。観光街で話しかけてくるベ...
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ハロン湾(ベトナム) ハノイから終日のハロン湾ツア-に参加 

南北に細長いベトナムの北側東に位置するハロン湾はその奇岩でつとに有名である。しばらくハノイ周辺を散策してハノイの逗留していたホテルの近くの旅行会社でツア-を申し込んだ。ホテル近くの出発場所からマイクロバスで港まで。多分ハロンあたりの港だと思うが忘れた。港からツア-客は小型の船に乗り換え出発。ツア-はいろいろあって船で一泊し食事も付いているものもあるようだ。ハロン湾から更に少し行くと中国。中国の桂林と景観が似ている。両者とも同じ石灰岩台地の一角とか。そういわれればそっくりかな。マイクロバスの車窓 出発した朝は曇天           車窓から見えた家をみておかしな家があるのに気付いた。張子の虎のような家。表側だけ奇麗に装飾してある、それも壁だけ。中国人と同じような見栄っ張りのところがあるのかな。乗船した船内若い韓国人のカップルが間近にハロン湾から上陸して鍾乳洞の洞窟に帰路の車窓KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERAKONICA MINOLTA DIGITAL CAMER...
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アンコ-ルワット(カンボジア) バンコクから陸路で行きは行きあたりばったりのバスとトラックの旅 帰路はツア-でスイスイ豪華?バスで帰着

アンコ-ルワットへは、タイのバンコクから陸路で1泊2日の時間を費やして到着した。時間をかけて苦労してたどりついたものである。バンコクのバスセンタ-から国境までのバスに乗り、国境超えてからは相乗りバスのような感じのピックアップトラックのシェムリアップ行きに地元民と同乗しなんとかたどりついた。ピックアップに乗せてもらう時、英語も通じず困った。ジェスシャ-だけが頼りだった。バンコクのカオサンから、陸路のツア-で行けば比較的に簡単にたどり着いたのだろうが、そこは刺激と好奇心を求めて、ゆきあたりばったりの旅を楽しむことにした。次に何が起きるか分からないところが面白いのである。更に簡単といえば空路で一気にシェムリアップという方法もあるが、あまりにも容易しすぎるし、陸路をはって行くのが旅の大部分の醍醐味であるから、考えられない方法である。タイの国境を超え、シェムリアップまでの相乗りのピックアップトラックは道路が未舗装で、凄い乗り心地であった。席の前後空間も狭く、エコノミ-症候群になりそうだった。この道...
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