うちの近所は変わり者が多い!www /田舎はいいな!?

落書き日記

今日の夕方、生垣の手入れしてたら隣の畑のオジサンが軽トラで畑にやってきたので挨拶したら無視された www。前回も確か同じく無視されたような記憶が。

近所の昔からの住民は根っからのお百姓さんが多い。さすがに今は百姓では食べていけないので、サラリ-マンをやってるのだろうと思うのだが。そういう血筋なのかDNAなのか、無口で不愛想なのが多い。近所のコンビニの店長も、百姓さんあがりのようで、不愛想でサービス精神が全く無いようで、口コミでボロクソに書かれている。ちょつと可哀そうなくらいに悪評ばかり www。

(おいらの両親は、戦争末期、裸同然でこの地区に疎開してきた貧乏組、運悪く当時の東京の家の売却金は金融封鎖で紙屑となったので、貧乏の中の貧乏家族www)

おいらが中学の頃、高校の進学率は50%ちょつと、田舎中学ということで、百姓には教育は必要が無いと思う親が多かったのか、郊外の進学率より20%くらい低い。戦後、地主から田畑をもらい、1町歩くらいの畑やたんぼを持っている農家も少なく無かったので、経済的には比較的裕福だったと思われるが、教育は無意味と思われたのか、同級生でも中卒が多い www。

地元には、歴史のある農林高校もあり、余り成績の良くない農家の息子娘は農林高校?あるいは、手に職をと工業高校かと思えば、工業高校に進学したのは余り知らない。家庭科というのもあったな、家庭科というのは何を教えてくれるのかは余りよく知らないが、裁縫とかミシンの使い方とか料理とか学ぶのだろうか?

昔は、この地区はのんびりした田舎都市だった。急速に人口が増え急変しだしたのは、車産業の進撃が始まった時から。大小の車関連の企業が進出してきて、かってのたんぼが急速に工場へと変貌。

おやじの時代だと、トヨタは半年くらい給料の遅配があったとか、おやじは織機(本社)なので給料の遅配は無かったと自慢してたwww。そんなトヨタが朝鮮戦争を境に息をふきかえし、昭和の復興の波に乗り、今では日本一の企業とか。という背景で、この田舎都市も今では新幹線の駅もある、中堅都市?と発展したのだ。

たまに、木炭車が走る、田舎が、恋しくなる www。おいらが子供の頃でも、さすがに木炭車は無いか?

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